斎藤喜博

「子どもは、どの子どもも勉強がきらいではない。勉強し、自分を豊かにふくらませていくことを、どの子どもものぞんでいる。だがそのためには、そういう子どもの要求を、みたせるような条件をつくってやらなければならない、学校では、子どものそういう要求をみたさせる場面が授業である。」(『未来誕生』p.91)
『総合教育技術』誌(小学館)2010年8月号において「日本の教育史上最高の教育者は誰か」というアンケートで、斎藤喜博は第4位に選ばれました(第1位は大村はま)。没後40年を越えてなお、多くの教育関係者から高い評価を受けています。
その斎藤喜博の仕事は教師としての教育実践、校長としての学校経営、また歌人として、大学教授と多岐にわたります。書籍を執筆し、写真集を刊行し、映画、ラジオ番組、テレビ番組にも出演。子どもたちの合唱をレコードとしてもだしています。
その仕事について横須賀薫氏(宮城教育大学名誉教授)は「授業を中心とした学校づくり」だったと述べます。
質の高い授業を求め、子どもが育ち、教師が育つ学校をつくること、それを身をもって、生涯実践し続け、出版等を通して、世に問い続けました。
略歴

1911年 群馬県芝根村に生まれる
1930年 群馬師範学校を卒業 玉村尋常高等小学校へ赴任
1932年 アララギに入会 「アララギ」に短歌を発表
1941年 『教室愛』(三崎書房)刊行
1946年 歌誌「ケノクニ」創刊
1952年 教育科学研究会の結成に参加 島村小学校校長に就任
1953年 島小研究報告第一集
1954年 教育二法案公述人として衆議院文部委員会で反対公述
1955年 第一回島小公開研究会を開催
1958年 『未来につながる学力』(麦書房)
『学校づくりの記』(国土社)
1960年 『未来誕生』(麦書房)『授業入門』(国土社)
1962年 近代映画協会「芽をふく子ども」撮影開始
1964年 教育科学研究会に教授学部会を創設
1967年 NHKラジオ「人生読本」放送
1972年 個人雑誌「開く」創刊
1974年 宮城教育大学授業分析センター専任教授に就任
1978年 NHKテレビ「教える-斎藤喜博の教育行脚」放映
1981年 『事実と創造」を創刊
7月24日没
島小学校の実践
斎藤喜博は、1952年4月に群馬県佐波郡島村村立島小学校に校長として赴任します。41歳のときでした。
赴任した年の1953年2月に「島小研究報告第1集」を出し、1955年12月に第一回島小公開研究会を開催します。公開研究会は1963年まで八回開催され、全国から延べ1万人以上が訪れました。
公開研究会以外でも、多くの研究者が学校を訪問し、その実践を報告しています。
その中には、芥川賞を受賞して間もない大江健三郎もいて、「未来につながる教室ー群馬県島小学校」(『文芸春秋』1968年7月号)としてまとめられています。
また、書籍や雑誌だけでなく、映画「芽をふく子ども」や川島浩による写真集『未来誕生」としても紹介されています(ホームページの写真は、『未来誕生』より転載しております)。
島小学校の実践のすばらしさは、第一に「子どもの姿」に表れています。授業に集中している表情、教師に向ける眼差し、ぜひそういうところもご覧下さい。
斎藤喜博を解説する関連リンク
・教育実践史のクロスロード[リレー連載・第1回] 斎藤喜博
・後藤清春の「斎藤教授学」講座(連載)
斎藤喜博を理解するキーワード
※アクティブ・ラーニングも、「主体的・対話的で深い学び」も「働き方改革」もすでに取り組んでいました。
現代の教育課題に対応するものを中心に紹介します。
斎藤喜博を理解するキーワード
主体的に学ぶ
授業の場合であれば、自 分の本音のところで対象である教材と対面し、教材に対するそれぞれの考えを持ち、それを他の人間の考えと突き合わせ、衝突させ合わせることによって、自分の考えを拡大・深化させたり、自分の考えを別のものに変えていったりすることである。そういうことこそ主体的に学ぶということであり、子どもたちが、それぞれ自分の存在を主張し、他の人間と交流し合いながら、自分を生きた人間として主体的に再生させ発展させていくことである。(『授業と教材解釈』)
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授業の中での対話
自分の主張や感情を明晰に感情をこめて話すためには、会話でなく対話ということがどうしても必要になってくる。ところがいままでの学校教育においては、形式的な会話はあったが、生きた流動した対話というものはあまりなかった。
(中略)対話はそういうものではない。いつでも相手とか学級全体とかを意識し、そのなかにいま創り出されている思考とか感情とかに対応して、自分の考えとか感情とかをそのなかに投入し、自分や相手を新しくしたり変革したりしていこうとする柔軟性を持ったものである。(『教育現場ノート』)
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教育という仕事
教育は、子どもたちに一定のものを与える仕事ではなくて、子どもの持っている可能性を引き出してゆく仕事である。したがって教育の場合には、一般的、形式的な目標をたて、一定の方法によって仕事をするということはできないものである。(『授 業小言』)